富士山に挑戦した話し③
7合目からの登山中は、
もうとにかくずっっっっと強雨に打たれてて、登山道がなんというかもはや滝?って感じで水が流れてて、途中サプライズでミゾレなんかも降ってきちゃってた
もう26の大人なので、"ショーシャンクの空にポーズ"はしなかったが、"ショーシャンクの空にポーズ"をするにはもってこいの豪雨だった
しかし強いていえば水タイプの私は、濡れたことによって"登山ーズハイ"状態になっており、そんなにキツさを感じていなかった
多分、「HP」「こうげき」「ぼうぎょ」「とくこう」「とくぼう」「すばやさ」全てアップしてた
水タイプで本当に良かった
モンベルの回し者かのごとく、
靴も靴下もレインコートも全てモンベルで揃えていたのだが、さすがの防水加工も
「8時間強雨は想定外、さすがに限界だよ」
って訴えてきてた
一方ばななっ仔の状態はというと、
視界はかすみ、
肺は潰れ、
意識は朦朧、
大地は割れ、
海は荒れ狂い、
花は枯れ、
野から虫は消えた……
といった感じで、見るからに限界そうだった
私はモンベルとばななっ仔に
「まだまだいけるよ!あともうちょっと!頑張って!!」
と声をかけ続けたが、
こっちの見込みを裏切ってモンベルの方からは早々に白旗が上がり、
徐々に雨が身体を蝕んできてて、
とにかく寒かった
それはもうびっくりするほど寒かった
(実際その日、低体温症で救助されてる人もいた、そのくらい寒かった、8月なのにね!)
9合目あたりから、ばななっ仔は
「酸素…酸素…」しか喋れなくなっていた
他にも登山客が数名いたが
登るにつれてどんどん脱落していった
ばななっ仔を先導しつつ、ペースを落とさなかったのは暗くなる前に7合目の山小屋まで下山したかったからだ
(ま、結局下山途中に真っ暗になってしまい、ヘッドライトを取り出すと水没してたのか点かず、その時はさすがに
「私の人生ここまでか…みんな…今までありがとう」とアーメンした)
そんなこんなで16時20分頃、山頂に着いた
山頂はなんというかもう、
完全に、
台風で、
雨風激しく、視界も悪く、立ってるのもやっと、お店は閉まり、神社は閉門、火口は塞がり、
そして人は誰もいなくなった (アガサ・クリスティー)
荒廃した世界かな?
登山前は"日本一高い場所"でやりたいことを色々考えてて、
「カップラーメンはマストで食べたいし、ジャンプとか側転とかしちゃう!?手紙とか出せるみたいよ!火口の周り歩こうね!!」
と期待を膨らませていたのだが、
現実は着いた瞬間、
ただただ下山したかった
ロープウェイで下山したかった
写真とかたくさん撮りたかったが、携帯出した瞬間水没しちゃうレベルだったし、何より手がかじかんで操れたものではなかった
ということで、
死にもの狂いで写真を数枚だけ撮って、
400円のコーヒーを自販機で買って飲んで、
即下山を開始した
山頂滞在時間、驚異の3分!!
登りが案外上手くいけたので、調子に乗っていたら、
下りは高山病の症状が出てしまった
吐き気が襲い、山頂で飲んだ400円のコーヒーが気持ち悪かった
400円払って気持ち悪くなってしまった
そのため下りは、ばななっ仔に励ましてもらった
ナイスコンビだぜ
雨はより一層強くなってて、
下りの濡れた岩場の滑りやすさといったら
羽生くんさえもコケちゃうレベル
半端があるかないかで言ったら、
絶対に"なかった"
一歩間違えば滑落だった
ばななっ仔は自分自身も限界なのに、
外国の方とすれ違う時は
「ユーキャンドゥーイット!」
と声をかけてあげていた
それを見た私は
「今後ばななっ仔のことは一生信用するし、できたら生活の面倒もみよう」
と心に決めた
途中真っ暗になって何にも見えず、
ヘッドライトがつかない大ピンチもあったが、
20時頃
命からがら山小屋へ帰還した
山小屋の安西先生は本当に優しくて、濡れて寒くてお腹ぺこぺこの私たちに、すぐに温かい牛丼とお味噌汁を用意してくれた
生きて戻れて良かった